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大分家庭裁判所 昭和43年(少)1857号 決定

少年 N・H(昭二六・六・三生)

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

(非行事実)

少年は大分県立○○高校二年生であるが同校一年生である丸○肇(当一七歳)とかねて不仲であつたところ、

一、昭和四三年一一月○○日午後四時頃下校途中丸○から少年の親しい友人の一人である好○俊○を丸○が殴つたこと、前回の勝ち負けのけりをつけるから五号地(埋立地)に行こうと挑戦されるや直ちにこれに応じ、友人床○利○から日本刀一振りを借り受けこれを携帯し同日午後六時半頃丸○方に赴き、同人を伴つて大分市○○東○○組の○立○耕○方北側海岸埋立地に至り、同日午後六時四五分頃同所において少年が所携の日本刀を抜いて右手に構えたところ、丸○が刺しきるなら刺してみよといいながら刀を奪いとるような態度で近寄つてきた為、憤激し突差に上記刀をもつて同人の胸部を突刺し、同人に対し右前胸部刺創(右肺中葉穿通食道周囲に達する深さ約一三糎)の傷害を与え、その結果同人をして翌一一月○○日午前四時頃大分市○○町○番○○号伊○病院において失血多量により死亡するに至らしめ、

二、上記喧嘩に使用する目的をもつて同年一一月○○日午後四時三〇頃大分市○○町○丁目○番○号床○利○方から上記海岸埋立地まで刃渡り四五糎の日本刀一振りを携帯したものである。

(法令の適用)

上記一の事実は刑法第二〇五条、傷害致死の罪に二の事実は銃砲刀剣類所持等取締法第三条第一項、第三一条の三の同法違反の罪に各該当する。

(処分理由)

一、本件事案は同じ高校に在学する生徒間の喧嘩に少年が日本刀を持ち出し相手方を刺したことによりその生命を奪うに至つたもので、学生間の喧嘩にこの種凶器が使用されたことに特異性があると共に少年の在学する高校が県下において東大、九大等国立大学への進学率随一を誇る名門校で一般に学生の質もよく、かつて暴力事件などの非行が外部に顕われたことがなかつた為、県下の耳目をひいたものである。

しかも調査がすすむにつれて同校に暴力事件が皆無なのではなくして学校内部で処理され表沙汰になることが少なかつたこと、学校における教育態勢が進学第一に考えられ、級編成は成績順、志望大学中心に行なわれ人間教育が忘れられ、こうした進学競走について行けない生徒は自然、疎外された状態におかれ、これら底辺にある学生の中にはグループを作つて勢威を誇示し、仲間同志小ぜり合いを演じたり、暴力を振うことが折々あつたこと、しかし学生自身退学をおそれて届出ず学校も又積極的にこうした問題糾明に乗り出すこともなく放置していたことが認められる。

二、少年と被害者は中学時代同級生であり、被害者は高校へ一年浪人して入学した為に下級生となつたものであるが、少年はその同級生間においては上記の底辺に属するものであるが被害者に対する関係では上級生としての優越感を有しており、被害者はこれに反撥し、又同人自身の支配的、闘争的傾向から相互に相容れない関係にあつた。そんな折少年が被害者の同級生で被害者とは親しい間柄の友人を殴つたことから学校で一週間の謹慎処分に付され、互に気まずい状態にあつたところ、たまたま被害者が少年の悪口を言つたことに端を発し、昭和四三年六月上旬頃中学校校庭で互に殴り合い少年は被害者の腹部を足蹴りするなど双方共相当ひどい暴力を振う喧嘩を行ないこの時は被害者が謝つて一応おさまつたが、翌日被害者は急性の移動性盲腸ということで入院開腹手術を行なつている。その原因が少年の暴行によるものであるか否かは今にわかに断定することはできないが、被害者及びその家族はその旨信じていたようである。本件において被害者が前回の勝ち負けをつけようと言つたのはこの折の喧嘩を指していたもので、当時何れも退学を恐れ届け出なかつた為学校の関知しない処となつていた。

その後両名は一旦仲直りをしたかに見えていたが、本件の前日被害者が少年のグループの一員である好○俊○を殴り、その事を少年に告げて挑戦する態度に出たことから本件の喧嘩となつたものである。

三、少年は被害者に対し体力的にも精神的にも優越していると自負しているのに拘わらず本件の喧嘩に際し同級の友人から日本刀を借り受けこれを携帯して現場に赴いているのは、これを用いて相手を刺す為というよりもいわゆる決闘の場面に刀を持ち込むことに大人の喧嘩をするのであるという意識や少年なりの格好の良さを感じていたこと、そしてこれによつて相手方を一方的に心理的に圧服しようと考えたことにあつたことが窺われる。そこには対等の人間が互に素手で泥まみれになつて闘うという少年等にありがちの純粋な闘争形式がなく少年には無意識の中に相手方に上下の関係を強いる心理が働いていたといえる。こうした心理は対被害者との関係で終始少年の抱き続けて来た処でそれが又被害者をして耐え難いものとさせ本件においても少年に対し、死を賭して立ち向わせた原因になつたといえよう。

四、少年のこうした傾向は本件被害者に対してのみではなくその交友関係一般に見られる処であつて、少年が他校の学生から番長であるといわれて内心これを得意とし、又学校内のグループにおいて常に親分的に振舞つていることに現われており、少年には真の意味の対等な友人関係が形成されておらず、そうしたものを作り出す基盤に欠けていたことが認められる。鑑別結果によると少年の知能は普通域(新制田中B式第一形式I・Q=九五)で人格的には心気症傾向が高く自分の心身の変化に敏感で些細なことにこだわり、元気をなくしたり、易刺激的に行動する面があり、行動傾向は積極的、主導的であり、野心的で要求水準が高い。現実認識の力が弱く空想的、幼児的世界に憧れたり、表面的な美しさを求め易い情緒面の発達が悪く他人との情緒的な接触が円滑でないなどの問題点が指摘されている。本件はこうした少年の性格的な欠点が随所に露呈したものとして考えることができる。

五、このような性格的問題点は生まれながらの資質に負う処も少なくないであろうが、むしろ特異な生育史による処が大きいと思われる。少年は生後四ヶ月にして実母の病気のために母方の祖父及びその配偶者である義理の祖母の許に引きとられ、そこで専ら養育され、実母の病気回復後も実母と同居することなく無論実父との関係も疎遠で、少年が小学校三年生時に実父母は調停により離婚して以来少年は実父と逢つてもいない。実父母共少年の出生前から現在まで小学校教員を勤め、実母も又勤務地の関係で一ヵ月に数回少年を見に帰るという程度で幼時から今日に至るまでのその指導監督は祖父が身の回りの世話は祖母によつて行なわれて来た。祖父は長年教育者として生活して来た人で、現に専門学校教官を勤め地区の青少年補導員を勤めるなど、温厚円満な人柄で、少年に対する慈愛も深く教育的関心もかなり高かつたと思われる。又祖母も生さぬ仲の子を良く育てたいわゆる良く出来た人といわれる人であり、少年に対してはむつきの上から手塩にかけたという気持が強く、その愛情は不自然とも見られる位に独占的、排他的に強固で祖父母共に溺愛、過保護の状態にあつたことが認められる。

従つて祖父の教育的関心も少年との年齢的差異、その育つた時代の隔絶から理解が表面的に止まり、少なくとも少年が青年期に達してからは実効を挙げ得なかつたと認められる。

こうした家庭環境に育くまれ、親子間の真率な感情の交流を知らず、愛憎を分ち合う兄弟もなく万事円満できれいごとづくめの生活体験の中にかのもろく弱い性格が形成されて行き、更に有名校といわれる進学第一の高校教育がこうした少年に何らの救いをもたらさなかつたのみならず、却つて少年の人間性や健全な夢をむしばみ歪められた方向へと駆り立てて行つたという外はない。

六、少年のこうした性格に根ざした軽はずみな行動によつて前途ある一人の少年の生命が失われたことは誠に惜しんでも余りあることであり、その遺族が少年の親を相手どつて一〇〇〇万円の損害賠償請求訴訟を現に提起している心情もこの種事案においては充分に考慮されなければならない。

少年は被害者をたおす事によつてその望む優越的な地位に立つた瞬間に奈落に陥り、今その空しさと永劫の苦悩の前に身をさらそうとしている。審判に際し自分が死にたいと願う少年の慟哭を一時の感情に終らせず、血で汚した大地にひれ伏してその罪を謝しその中から真の魂の平安を得させるためには当分の間社会と離れた一定の場所で贖罪の生活を送らせることが必要であり、その場所としては少年の年齢、本件の動機、性格、生育史等上記各諸点を考慮して、中等少年院に収容し、同年配の少年達との集団生活を通じて人間及び社会に対する理解を深めさせることが少年の保護育成のために適当であると認める。よつて少年法第二四条第一項第三号、少年審判規則第三七条第一項後段を各適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 土井博子)

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